| “うんちく”というものは、必ずしも論理が追従するようなことはない。 |
| その“うんちく”が「間違い」か「一部に真実を含む」ものか「全く真実」かを、見る者は判断することになる。 |
| 一人一人がそこにある真実を、己の価値観で見定める。 |
| ある人は嘘と取る、ある人は本当と取る。 |
| ある人は“ここ”は納得できるが、“ここ”は納得できない、となる。 |
| 願わくは、私のアクコロの概念は、皆に認めて欲しいと思っている。 |
| 決して無茶なことを言っていないと思うから。 |
| 基本なのだ。 |
| そしてなにより、アクコロの概念は、ただ単に「自然の中の水の流れや浄化能力」を、やまゆーがその感覚で感じ取ったものであるからだ。 |
| この感覚は、生業としている排水処理業にて、培ったものだ。 |
| 微生物の状況を感じとり、数値では中々表せない微妙な変化に、ある程度呼応している。 |
| たとえば、↓の汚泥量を調べた試験管の写真に、一つだけ汚泥が浮いている写真があるのがわかると思う。(左から2番目) |
| ろ材の中の微生物が、ガスをもって浮いているのだ。 |
| 私はこういった変化を、水槽の状況を見ながら感じとれる。 |
| それには全体の印象が大切である。良い状態の印象を心にとめよう。 |
| 汚泥がガスをもっている、という事実を感じ取るのではない。 |
| 水槽の何かが変化して、環境が変わっているのを感じとり、それに対応して調べているのだ。 |
![]() |
| 私は自然の姿に謙虚に学び、必要な概念を形成し、そして反映しているだけだ。 |
| だからといって私は、私が万全のことをしているなどとは思っていない。 |
| 当然異論はあってしかるべきだ。私は異論をはなから否定はしない。 |
| その内容を検討し、取り入れられる所、取り入れられない所に分けて、前者は自分の糧とし、後者は静かに静観させてもらう。 |
| もっとも、異論をとなえる人が、他の人の意見を聞き、なおかつ自身を冷静に保てる人だと判断すれば、時には意見することもあるだろう。 |
| でもそれは、相手を否定したり、やり込める気持ちから起こるのではない。 |
| より、熱帯魚と言う趣味の分野を、互いに深く探求するためだ。 |
| すなわち、切磋琢磨するということである。 |
| むしろ、そういうことをやまゆーは望む性格なのだ。 |
| 時として私は… |
| 「他の人からひたすら情報を集めるなら、その人間はもっとも多くの有効な情報を持つ者になれるかも。 |
| そして自身の見つけたことや情報は小出しにする。他の人は自身の持つ情報は持てないので、 |
| 結果、その人間は他の人より情報で抜き出るということになる」 |
| …と言う幻想に襲われる。 |
| それはある。少しそのとおりだ。だがそれはデフレ的発想だ。 |
| この発想の最大の欠点は、情報交換の量が恐ろしく減ることにある。 |
| やまゆーそういうことが嫌いだ。 |
| 世の中の体質が、私のようなタイプの人間を不利にするものであったとしても、嫌いなことをやって生きていくよりましと思う。 |